帯広市議会 2020-09-20 03月13日-03号
その後、平成16年3月に帯広市立病院は閉院され16年の歳月が流れたわけですが、十勝・帯広の医療環境は後退することなく現在に至っております。全国的に自治体病院は高コスト体質から脱却することが難しく経営は厳しいと言われており、結果として市立病院の廃止の決断は正しかったものと考えております。
その後、平成16年3月に帯広市立病院は閉院され16年の歳月が流れたわけですが、十勝・帯広の医療環境は後退することなく現在に至っております。全国的に自治体病院は高コスト体質から脱却することが難しく経営は厳しいと言われており、結果として市立病院の廃止の決断は正しかったものと考えております。
その後、平成16年3月に帯広市立病院は閉院され16年の歳月が流れたわけですが、十勝・帯広の医療環境は後退することなく現在に至っております。全国的に自治体病院は高コスト体質から脱却することが難しく経営は厳しいと言われており、結果として市立病院の廃止の決断は正しかったものと考えております。
◆29番(野原一登議員) 先ほど市長が出馬をしてから今までの、特に福祉医療の政策の変化についてお伺いをいたしましたけれども、帯広にありました明治44年につくられて平成16年に閉院になりました帯広市立病院、93年間の歴史があったわけでありますが、平成8年には市立病院、当初は伝染病隔離病舎としてできたんでありますが、特に平成2年に高橋市政になってから、帯広市立病院整備拡充基本計画、内科、小児科、外科、整形
◆29番(野原一登議員) 先ほど市長が出馬をしてから今までの、特に福祉医療の政策の変化についてお伺いをいたしましたけれども、帯広にありました明治44年につくられて平成16年に閉院になりました帯広市立病院、93年間の歴史があったわけでありますが、平成8年には市立病院、当初は伝染病隔離病舎としてできたんでありますが、特に平成2年に高橋市政になってから、帯広市立病院整備拡充基本計画、内科、小児科、外科、整形
閉鎖になった帯広市立病院のこともあるよと、そういう前兆が見えてるよとも言ってきました。 私はもう一度原点に戻って、根室に来ているお医者さんの立場を考え、そしてその立場になって考えてみる必要があります。例えば、札幌市立病院に臨床研修で2年間修行して、そのまま大学へ戻らずそこの専従医になります。そうしますと一生転勤がないんです。
帯広市立病院は、平成6年3月31日、蛍の光、廃院となったのであります。その瞬間、趣が変わったと思います。保健福祉センターは、市長の2期目の公約で主要な施策の一つになっておりました。市立病院の廃院に思いがあります。市政執行以来、初の市長問責決議を出したことが頭の中をよぎりました。結果は否となりましたが、今でもそれは正しかったと思っています。
帯広市立病院は、平成6年3月31日、蛍の光、廃院となったのであります。その瞬間、趣が変わったと思います。保健福祉センターは、市長の2期目の公約で主要な施策の一つになっておりました。市立病院の廃院に思いがあります。市政執行以来、初の市長問責決議を出したことが頭の中をよぎりました。結果は否となりましたが、今でもそれは正しかったと思っています。
なお、帯広市立病院は平成15年度をもって廃院いたしましたことから、当会計を閉鎖いたしました。 次に、下水道事業会計について御説明いたします。 業務の状況につきましては、処理区域の拡大に伴う水洗便所の普及により、水洗便所設置個数は7万7,517個、年間総処理水量は2,507万6,085立方メートルとなりました。
なお、帯広市立病院は平成15年度をもって廃院いたしましたことから、当会計を閉鎖いたしました。 次に、下水道事業会計について御説明いたします。 業務の状況につきましては、処理区域の拡大に伴う水洗便所の普及により、水洗便所設置個数は7万7,517個、年間総処理水量は2,507万6,085立方メートルとなりました。
私は、こういうなし崩して変容していった帯広市立病院の整備計画、この動きを見たときに政策評価の導入ということの必要性を極めて強く感じたわけでございます。なし崩しや不透明な政策形成は行政への市民の信頼を損なうもんだと思います。情報の提供と説明責任、それは市民から信託されている、行政から預かっている市長なり市行政の市民に対する最低限の私は責務だと思うのでございます。
私は、こういうなし崩して変容していった帯広市立病院の整備計画、この動きを見たときに政策評価の導入ということの必要性を極めて強く感じたわけでございます。なし崩しや不透明な政策形成は行政への市民の信頼を損なうもんだと思います。情報の提供と説明責任、それは市民から信託されている、行政から預かっている市長なり市行政の市民に対する最低限の私は責務だと思うのでございます。
市長、あなたが決断をした帯広市立病院の廃院に見られるように、あなたの公約違反と大学問題を重ねて見て、大学もだめなのか心配する市民がいるということであります。このようなあきらめのような声が市民の間から聞こえてくるとしたら、大学の実現に向けて全力で取り組んでいる市長にとってもまことに不本意なことであろうと思います。しかし、これが今日の大学問題の実情なのであります。
市長、あなたが決断をした帯広市立病院の廃院に見られるように、あなたの公約違反と大学問題を重ねて見て、大学もだめなのか心配する市民がいるということであります。このようなあきらめのような声が市民の間から聞こえてくるとしたら、大学の実現に向けて全力で取り組んでいる市長にとってもまことに不本意なことであろうと思います。しかし、これが今日の大学問題の実情なのであります。
大正15年に設立された帯広市立病院は、市民の命と健康を守るとりでとして77年間地域医療に貢献してきました。とりわけ東地域においては、農村部を除いて最も高齢化が進み、身近な医療機関も少ないことから、地域医療の守り手としての役割を果たしてきました。 市長は昨年4月の市長選挙で、市立病院を現在地で改築し、医療の充実を図ります、しかも早急に実行しますと市民に公約しました。
大正15年に設立された帯広市立病院は、市民の命と健康を守るとりでとして77年間地域医療に貢献してきました。とりわけ東地域においては、農村部を除いて最も高齢化が進み、身近な医療機関も少ないことから、地域医療の守り手としての役割を果たしてきました。 市長は昨年4月の市長選挙で、市立病院を現在地で改築し、医療の充実を図ります、しかも早急に実行しますと市民に公約しました。
帯広市立病院は、大正15年に設立された、市民の命と健康を守るとりでとして77年間地域医療に貢献してきました。とりわけ東地域においては、農村部を除いて最も高齢化が進み、身近な医療機関も少ないことから、地域医療の守り手としての役割を果たしてまいりました。 市長は、昨年4月の市長選挙で、「市立病院を現在地で改築し、医療の充実を図ります。」しかも「早急に実行します」と市民に公約しました。
帯広市立病院は、大正15年に設立された、市民の命と健康を守るとりでとして77年間地域医療に貢献してきました。とりわけ東地域においては、農村部を除いて最も高齢化が進み、身近な医療機関も少ないことから、地域医療の守り手としての役割を果たしてまいりました。 市長は、昨年4月の市長選挙で、「市立病院を現在地で改築し、医療の充実を図ります。」しかも「早急に実行します」と市民に公約しました。
今議会で帯広市立病院の廃院に伴う条例改正とそれに伴う予算が提案される予定となっております。 平成10年3月議会において、現市立病院の老朽化、狭隘化の解消と、2次医療圏における医科体制改善を図ると同時に、夜間における診療空白時間帯解消を目指した、365日24時間市民が安心できる診療体制確立のために、多科目診療の196床の新市立病院の建築費が議決されました。
今議会で帯広市立病院の廃院に伴う条例改正とそれに伴う予算が提案される予定となっております。 平成10年3月議会において、現市立病院の老朽化、狭隘化の解消と、2次医療圏における医科体制改善を図ると同時に、夜間における診療空白時間帯解消を目指した、365日24時間市民が安心できる診療体制確立のために、多科目診療の196床の新市立病院の建築費が議決されました。
ああ帯広市立病院、こうであります。 以下、順次先ほど例証の項目に従って伺います。答えてください。 その1は、市長、いずれは廃院の気持ちを前から包み持っていたのではないでしょうか。本腹、本心を聞かせてください。 市長はこれまで、行政報告や今議会の答弁の中で、市立病院廃院の理由として、医師の確保が難しい、経営赤字がかさむ、医療環境も好転したということを掲げ、繰り返しおっしゃっておりました。